1巻でamaneが「復活」し、堂々のエンディングを迎えた、と思っていたら2巻が出た。
今度は、主人公の小沼君が、曲が書けなくなってしまう!
この本の描写では「ギターをいくら弾いても、音階に聴こえない」という表現がされるが、そんなことがあるものだろうか?
また、自分じゃない人が作った曲、歌った曲であれば正常に聴こえるらしい。自分の演奏する曲だけ、「音階として聴こえない」というから、「聴力異常」の類ではないことが伺える。
そして、曲が書けなくなったこともさることながら、小沼君にはもう一つ悩みがあった。
それは「どうやってもamaneには勝てない」という悩み・・・。
本来amaneだけ聴いていれば幸せで、それが自分の作曲の動力源にさえなっていて、だから彼は楽器を一通りやれるようになったし、「宅録」といったテクニカルなものも習得できたのだが、その源泉と向き合い、再び彼の創作の原点となった「わたしのうた」をamane本人の声で聴いた結果、彼は創作ができなくなったのだ。
というところから始まるのだが、今回は文化祭がある。そのときまでにカムバックしておかなければならない。しかも、やる曲もまだ2曲しかないから、あと1曲ほしい。
この本には「創作」をやる人が必ず味わうであろう事柄がいろいろつまっていて、なかなか言語化しにくいそれらを著者が苦心して描いているような、そんな気がした。
もともと曲を作る、といっても、自分が作りたいものを作ればいいだけなのに、次第に「誰それの何には劣ってしまう」というふうに比べてしまう。そんなことに意味はない、と思いつつも比べてしまう。また、いくら楽器がうまく弾けていたとしても、だからといってそれで人を感動させられるというものでもない。「感動はどこから生まれるか」というのは、なかなかに難しい問題で、そのへんをうまく描くのは難しいと思う。
「天性の声さえあれば感動するか」といえば、そんなこともないような気がするし、凡庸な声でも人を感動させることができたりするし。
小沼くんの「聴こえなくなった音階」は取り戻せるのだろうか。また、文化祭は無事に出演できるのだろうか。
という2巻であった。
よく考えてみたら、1巻はほとんど「音楽」の話で、2巻もそうなのだが、「ラブ関係」は決着がついていなかったので、2巻が出るのは必然的な話であった。
今回は幼馴染の沙子さんがいろいろ活躍したような気がする。
本来この2巻はウェブ版では2冊くらいの分量になるはずだったらしいのだが、「次巻が出るとは限らないから」ということで、2冊分の分量を割愛したり圧縮したりして1冊分にしてあるらしい。
ということから、この巻で完結巻なのかもしれない。
なお、「精神的な理由で、自分の奏でる楽器の音だけ音階が聴こえなくということがあるのだろうか」と調べてみたところ、稀にではあるが、あるらしい。
「低音障害型感音難聴」・・・に限らないが、このような症状は音楽愛好家や音楽家に多い傾向があるそうだ。
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