今回は人情噺を書いてみようと思う。
「ソーライ」についてである。「ソーライス」あるいは「ソーライ」ともいう。
ご飯の上にウスターソースをかけて食べる、という食べ物だ。
これはなんというか「誰もが考える貧乏メニュー」かと思っていたら、ちゃんといわれがあった。
もともと、梅田阪急百貨店の大食堂メニューなのだそうだ。
と言っても、当たり前だが正式メニューではない。その食堂の人気メニューはライスカレーだったが、お客さんはそのカレーにウスターソースをたっぷりかけて食べるのが常であったそうだ。
そこに昭和恐慌がおきた。昭和恐慌というのは、1929年にアメリカを発端として起きた「世界大恐慌」の影響でおきた、戦前の日本の深刻な恐慌のことをいう。
時代としては1930~1931年ごろだ。
さてその恐慌によって、食堂では「ライスだけ(五銭)」を頼むお客さんが増えた。
百貨店はこれを問題として、「ライスのみのお客さんはお断り」などの対処をしたのだが、逆に阪急社長の小林一三は「ライスのみのお客さんを歓迎いたします」という貼り紙まで出させた。
当時の経営陣は不思議がって、社長に聞いたそうだ。「なぜこのようなことを?」と。
小林社長はこう答えた。「確かに彼らは貧乏だ。しかしここで飯を食ってうまかったことを思い出し、いずれ家庭をもったらまたきてくれるだろう」と。
お客さんたちは、ライスだけを頼んで、ウスターソースをかけて食べた・・・。
そこから何年かして、日本は不況を脱した。当時ソーライを食べた人間たちも大人になり、
「阪急でソーライ食ったっけなあ!」と笑えるまでに生活は持ち直した。
そうすると、彼らの「恩返し」が始まった。阪急でわざわざ当時と同じソーライを頼み、お勘定よりも多めにお金を置いていく客が増えた。これには従業員が困ったそうだ。
話としてはこれだけなのだが、私はこの話が好きだ。当時の小林社長の英断に胸を打たれる。
時代が違えば良識も変わるものだから、今同じことをしては、とは言えないが、当時としては、それで救われた人たちがかなりいたのだ。
それは確かだ。
資料:Wikipedia、「にっぽん洋食大全」(小菅桂子著)
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