日本ソース工業会のホームページには、このような説明がある。
ウスターソースの誕生は、英国ウスター市のある家庭で起こった偶然の出来事がきっかけだったと言われています。19世紀の初め、市内に住む主婦が余った野菜や果実の切れはしを有効に利用しようと香辛料をふりかけて壺に入れ、腐敗しないように塩や酢を加えて貯蔵しておきました。それが長い時間をかけて熟成され、肉や魚、野菜にも合う液体ソースになったのです。
その後、イギリスのインド植民地支配のために作られた「ベンガル総督府」の州総督であったマーカス・サンディー卿という人物がいた。
(イギリスのインド統治は東インド会社が行っていたが、後に東インド会社はベンガル総督府の管轄下に置かれる。ベンガル総督府は後にその名前をインド総督府と変え、東インド会社の中央政府になる)
このサンディー卿は、インド赴任時代に食べた味が忘れられず、イギリスに戻ってから、薬剤師のジョン・リーとウィリアム・ペリンズという二人に「インド風の魚を使った調味料を作ってほしい」と頼む。
(この、着想の大本になった料理を知りたかったのだが、さすがにそれはわからなかった。魚のカレーだろうか?)
このとき実は、サンディー卿はインドからその調味料のレシピを持ち帰っていたそうだ。そしてそのレシピをリーとペリンに渡し、二人はレシピ通りにアンチョビ(いわし)と香辛料を大量に使った調味料を作るが、匂いがあまりに強烈だったため、地下室に保管したまま忘れてしまう。
数年後に思い出して蓋をあけてみたら、味も香りも素晴らしいものになっていたので、これを「リー・ペリン・ソース」として売り出すことにした。それが1837年のことである。
・・・さて、ここで冒頭に述べた「ウスター市のある家庭で偶然できたソース」とどういう関係があるのか、というのが全くわからない。文脈を見るに、まず、「ウスター市のある家庭で偶然できたソース」が「ウスターシャ・ソース」の元祖か原型か、そのようなものであり、リー・ペリン・ソースはおそらくそれに大分近いソースになってしまったのではないかと思われる。そのため、両者に混同がおきる事態になったのだろう。
また、自分の記憶では、マーカス・サンディー卿が、「自分のイメージだけをリーとペリンに伝えて作らせた」、と思っていたので、どういう過程でそういう材料を選んだのかも疑問であったが、今回調べ直してみたところ「レシピをインドから持ち帰った」とあるのでそれで納得だ。
レシピ通りに作ったはずがうまくいかなかった理由ははっきりしない。
なお、現在でも「リー・ペリン・ソース」の製法は秘伝とされるが、Wikipediaを見るとこうある。
イギリスのウスターソースは主原料に、モルトビネガーに漬け込んで発酵させたタマネギとニンニクの他、アンチョビ、タマリンドや多種のスパイスが使われているが、
少なくとも、モルトビネガー、玉ねぎ、にんにく、アンチョビ、タマリンドまではわかるわけだ。
「ソース」について語る場合、どうしても日本のソースに話が偏りがちなので、あえて今回は、本家のソースの話を書いてみた。
日本でも「リー・ペリン・ソース」は入手可能で、ちゃんと瓶に「LEA & PERRINS」と書いてある(上部写真参照)。
日本のソースの話はまたいずれ・・・。
※後日談
これを書いたあとに「小説家になろう」サイトにて、まさに「リー&ペリン」を題材とした小説がアップされているのを発見したので、ここに紹介する。
これが完全に史実に基づいているかわからないが、内容的にはそうだと思われる。これを読んで自分もわからなかったことがいくつかわかった。
マーカス・サンディー卿が「作ってほしい」といったのはどうやら「魚のカレー」であったこと、
そして、「レシピ通りに作ったのに失敗した理由」は、「レシピが主観的なものであり、分量比が書かれていなかった」からであること。
なかなか興味深いので、是非一読されたい。
なお、「ソース(sauce)」の語源については、↑上記小説においてはギャグのネタにされているが、実際にはラテン語の「塩味の」を意味する「salsus」を語源とするフランス語に由来する。
自分が知っている限りでも「塩」を語源とする単語は結構あるので、ついでに書いてみる。
- サラリー(給与)(salary)
ラテン語のサラーリウム(salarium)に由来する。 そしてこの「salarium」の語源は 「sal 」すなわち「塩」である。「salarium」 は軍務ないし役人の、それもかなりの職責のある者に支給された。 - ソーセージ(sausage)
ラテン語「salsus」に由来する。 - サラダ(salad)
ラテン語「salsus」に由来する。
参考資料:
Wikipedia、日本ソース工業会のホームページ、 PRTIME ハインツ日本株式会社
※後日談2
その後、またWikipediaを見ていたら、驚愕の事実がまた出てきてしまった。
「マーカス・サンディー卿」の本来の名前は「マーカス・ヒル」であり、その後3代目「サンズ男爵」となるそうなのだが、
歴代サンズ男爵がベンガル総督を務めたことはなく、そもそもインドを訪れたことすらなかった。そのため、この説は歴史に裏づけられたものではない。
(Wikipedia「ウスターソース」より引用)
とのことである。前提が覆ってしまった。リー氏とペリン氏くらいはいたのだろうが、話が振り出しに戻ってしまい、どうも「よくできた伝説」だとしても、それではこのエピソードがどこから出てきたものかまるでわからない。リー氏とペリン氏は、マーカス氏と会うこともなく、実は独自にこの調味料を開発した、ということなのだろうか?
長年の通説が覆ってしまった。
コメント