福神漬は、カレーのつけあわせとして有名な漬物です。
ですが、これには謎も多いです。
まず、福神漬はどういう食べ物か?
これを作っているのは「酒悦」というお店です。
創業が1675年、つまり関ヶ原の戦いから75年後の、江戸幕府がはじまったあとくらいになります。
酒悦創業者は野田清右衛門ですが、明治時代になり、第15代野田清右衛門が「福神漬」を発明します。
発売は明治10年頃で、このころの漬物といえば塩漬けがメインだったのですが、野田は醤油漬けにします。
それも、三種類の醤油を混ぜたものの中に漬けました。醤油漬けなので、発酵させない、非発酵食品です。
材料は七種の野菜、大根、茄子、蕪、うり、しそ、蓮根、刀豆を使用したため、「7つの野菜」を「七福神」になぞらえて「福神漬」としました。
ここでようやく「福神」の名前の意味がわかります。
次に、「なぜカレーのつけあわせになったか?」です。
明治時代になると、海運業が盛んになりまして、
当時日本郵船という国営の海運会社がありました。
明治35~6年ごろ、日本郵船のヨーロッパ航路の船の食堂において、一等船室にのみカレーに福神漬け、二、三等船室にはカレーにたくあんを添えた、ということがありました。
この、「カレーに福神漬」のヒントになったのは、チャツネです。
(チャツネ‥‥‥フルーツ・香辛料等を甘く煮たもので東南アジアでカレー料理に添えて食する)
チャツネは現在でも使われていますが、カラフルなものが多く、真っ赤だったり紫色だったりします。
ここまで書いたらもうわかると思いますが、本来福神漬は醤油漬けですから茶色なのですが、
チャツネを模したため、カレー屋で出される福神漬は全て赤く着色されてしまっているわけです。
(なお、カレーのココイチにおいては、本来の茶色の福神漬を供しています)
この出来事以降、「カレーに福神漬」はポピュラーなこととして定着していきます。
福神漬そのものは、カレーのために作られたものではないし、もともと「おいしいおかず」として作られたのです。「酒悦」という店名から考えると、お酒のつまみ、という意味合いだったのではないでしょうか。
※補足
「酒悦」ホームページによりますと、もともとの屋号は「山田屋」であったそうで、「伊勢から仕入れた海産物を商う」店であったとのことです。
下記は「酒悦」ホームページから引用。
「株式会社酒悦は1675年(延宝3年)に野田清右衛門が創業しました。伊勢から仕入れた海産物を商う「山田屋」と号して本郷本町に店を構えました。
後に寛永寺の門前町である上野池之端に移転、酒の肴となる珍味類も扱うようになり上野近辺にある寺々に出入りしました。
やがて東叡山輪王寺の御門跡白川宮が大変高く評価し、「酒が悦ぶほどうまいもの」の意として「酒悦」の屋号を賜りました。
以来、三百年四十余年にわたり、伝統の味を守り続けています」(「酒悦」ホームページより)
最初から酒の肴を扱っていたわけではなく、徐々に変化していったのですね。
※さらに後日補足。
調べ物をしていたら、「福神漬とカレー」についてよくまとめてある記事を発見したので、リンクを貼っておきます。
@ DIME なぜ日本のカレーライスには福神漬けがよく合うのか?
参考資料:Wikipedia、「酒悦」ホームページ
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