カレーとは何か? その1

食べ物
Author:kspoddarCC表示継承2.0

重い腰を上げて、ついにこの題材に取り組んでみることにする。

一回で終わらなければ数回程度に分けて書こうと思う。

まず、「カレーライスと日本人」(森枝卓士著)、「カレーライスの誕生」(小菅桂子著)と2冊の本を読んだのだが、この2冊は「カレーが日本でどのように発展したか」については非常によく調べられていた。

しかし、二冊を読んでなお「カレーとは何か?」という答えがわからなかったため、

「インドカレー伝」(リジー・コリンガム著/東郷えりか訳)という本を読んでみて、おぼろげながらその正体がつかめた(なお、この本はまだ読み終わっていない)。

まず「カレー」という単語はどこから出てきたのか?

インド語には「カレー」という単語はない。

代わりに、タミル語とカンナダ語共通の単語で「野菜や肉」を意味する「カリ」という単語がある。

イギリスがインドを植民地としていた時代は1600年代だが、現在言われているのは次のような「通説」である。

インドを統治していたイギリス人が、インド人が食べているものを見て、「これは何か」と聞く。
インド人は「具」のことを聞いているのかと思い「カリ」と答えた。

それをイギリス人が「料理の名前」と思い込んでしまい、「カレー」という言葉ができた・・・。

しかし、これはよくできた「神話」の類である。

というのは、これよりも早く1598年には、オックスフォード英語辞典に「Curry」が出てくるのだ。

しかもオランダ人の記述を訳したものなのである。

オランダに「カレー」という言葉がどういう経緯で伝わったのかは全くわからない。

つまり、結局「カレー」という単語がなぜできたのかは不明なままである。

ただし、「西洋人がこの料理をカレーと名付けた」というのは正しいらしい。

(しかも、西洋のどこかまではわからないまま)

一番確実性が高いのは「ヨーロッパとの接触が古くからあったタミールが起源なのではないか」という説らしい。

では、語源についてはこれでいいとして、「つまり何がどうしたらカレーといえるのか?」という部分、いわば「カレーの概念」の話にうつる。

実はここが一番の根幹だ。

日本人にとってカレーといえば、「黄色くて辛くて、さまざまなスパイスを混ぜ合わせた料理」という感覚ではないかと思うが、そのスパイスの調合はといえば「おいしければおいしいほどよい」という感じではないだろうか。

しかし、そこがもうすでに本家と違うのである。
(もっとも、インドにカレーという単語がない以上、本家というのもおかしい)

インドにはそれぞれ「コルマ」「ダール」「サンバール」「サーグ」などというインド料理があるが、それを日本人が見た場合、どう見てもこうなる。

コルマ=鶏肉のカレー
ダール=ダール豆のカレー
サンバール=キマメと野菜のカレー
サーグ=野菜のカレー

ここまで理解して、そこで私は「カレー」が根本的にわからなくなった。

「一体インド料理では何を重視しているのか? なんの条件を満たせばカレーになるのか?」

そこで、「カレーが日本にくる以前」に答えを求めてみた。

そしてようやくわかった事実は、

「インド料理はすべてアーユルヴェーダに基づいて作られる」ということだった。

アーユルヴェーダとは何かというと、インドの家庭医学で、「アーユルヴェーダ、ユナニ医学、中国医学」の3つを世界三大伝統医学と称する。

「トリ・ドーシャと呼ばれる3つの要素(体液、病素)のバランスが崩れると病気になると考えられており、これがアーユルヴェーダの根本理論である」と、ある。

中国医学ではツボ(経絡)が重視されるが、アーユルヴェーダにもツボと似た概念のものがある。それが「チャクラ」である。チャクラは「エネルギーセンター」とも呼ばれる。

メインの大きなチャクラは正中線(体の中心の線)に沿って分布しているが、広い意味での小さいチャクラまで含めると、これがツボと同じ位置になるようだ。

ツボは「気」を取り入れる出入り口であるのに対し、チャクラは「プラーナ」を取り入れる出入口であることから、「プラーナ=気」という訳されかたをしている。

アーユルヴェーダは「世界三大伝統医学」であることからもわかるように、歴史が古い。そして、ここが一番重要なのだが、

「インドのすべての料理はアーユルヴェーダの処方に基づく」のである。

前述の「コルマ」についていえば、具である鶏肉に対し、どのようにスパイスを調合すればよいのか、というのが決まっており、ダール豆についても決まっており・・・という具合で、

具材一つ一つについてスパイスの調合が全部違う。

日本人の感覚で、「ルーを固定しておいて、具を好みによって変える」という料理ではないのだ。

だから、料理名が変わると、料理の見た目の色が変わってくる。これがインドの「カレー」ということらしい。

そして、我々から見れば、コルマ、ダール、サンバール、サーグ・・・というのはすべて、「カレーで、具材が違う」という認識だが、インド人から見れば「すべて違う料理だ」ということになる。

ここが決定的に違うところだ。

つまり「カレーという概念は西洋人が作った」のは確からしい。

そして、こと日本に関するならば、「日本のカレーの概念はイギリス人が作った」といえそうだ。

日本では有名な「C&B社(クロス&ブラックウェル社)」というのが、イギリスのインド統治時代にあった。

C&B社はもともとケータリングの会社だったのだが(仕出し屋)、そこがインド料理風のスパイスミックス(つまり今でいうカレー粉)を作った。

その後それが日本に上陸するや、長いあいだ日本のカレー市場で重大な地位を占めた。

ということで、日本人の視点から見れば「さぞやC&B社もカレー粉について重要な意識を持ち誇りをもっていることだろう」と思いきや、

なんと、ろくな資料も残っていないのである。

イギリス人というのは、「食に興味がない」ということで有名だ。俗に「イギリス料理というものはない」とも言われる。

大英図書館にすら、「食」のコーナーには本がほとんどないらしい。

食を「文化」と捉えていないフシがある。

で、それはなぜかというと、歴史に問題があった。

Wikipediaによると、


またイングランド人社会学者のスティーヴン・メネル (Stephen Mennell) は、「目の前に、二つの皿が並んでいたら、自己否定の原則に従って、自分の好きでないほうを食べなければならない」と考えるピューリタン的な禁欲主義が、イギリスの食文化の発展を阻んだという見方を、著書で紹介している。


と、ある。

ピューリタンというのは日本で「清教徒」と訳されるが、プロテスタント(カルヴァン派)の大きなグループのことである。

しかしややこしいことに「イギリス清教」というものは存在せず、検索したときに『「とある魔術の禁書目録」に出てくる架空の宗教団体』というのが出てきてしまい、吹き出してしまう。

イギリスにおいては長年「禁欲こそ尊い」という「常識」があり、そのため、「おいしい食べ物を食べたい」と思うことがはばかられる、というお国柄であったらしい。

つまり「食」を「文化」とはみなしていないわけだ。もちろん食べなければ生きてはいけないが、その食べ物に快楽を見出してはいけない、という考え方が長年あったようである。

そのイギリスから「カレー」「ウスターソース」という二大料理が出ているのもまた皮肉なことだが…。

そのC&B社は、前述のように「カレー粉の世界初の発明」に全く意義を見出していない。

現在でも当時のカレー粉のレシピはわからない上に、当時の品物には「このカレーパウダーは東洋の神秘的な方法によって製造されている 」などとけむに巻くようなことが書かれていたらしい(つまり不明)。

・・・と、ここまで見てきて、

1)「カレー」という概念は西洋人によって作られたこと
2)その「カレー」の概念はインドには存在しないこと
3)カレー粉を作ったのはイギリスのC&B社が最初であること

を見てきた。

ここで、2番と3番の間に入るエピソードを書き忘れていたことに気がついたので、それを書く。

イギリス人が「インド料理みたいなものを作って食べたい」と思っても、何しろ出典は「アーユルヴェーダ」であり、当時そのことをイギリス人が理解していたかすら怪しい。

そこで、見よう見まねで「それらしきものを作りたい」と思ったとしても不思議ではない。

インド料理には、仕上げに足す「マサラ」という粉がある。これが、ちょうどカレー粉みたいな感じなのだ。

一番有名なのは「ガラム・マサラ」というもので、「ガラム」は「辛い」という意味。いろんなマサラがあるが、もっともポピュラーなマサラである。ガラム・マサラ、チャート・マサラ、チャック・マサラ・・・なんの材料を使うかでさまざまなマサラがあり、仕上げに足すという過程からしても、フランス料理のブイヨンのような扱いである(ブイヨンも仕上げに足す)。

インド料理では、基本的にスパイスを混ぜ合わせたもの、というものが存在せず、料理のたびにスパイスを粉にし、それを混ぜて料理を作るが、この「マサラ」は最初から粉になっているし、混ぜ合わせたものである。

イギリス人はその「マサラ」をヒントにカレー粉を作ったのではないか、といわれている。

さて、このあとに話を続けるかどうかが悩ましいが、最後に余談的なエピソードをいれて今回は終わりにしよう。

カレーに欠かせないのはなんといっても「唐辛子」である。

しかし、唐辛子がもともとインドにあったはずもなく、コロンブスのアメリカ大陸発見以降、インドにもたらされた。

これはインドに限った話ではない。唐辛子が自生していたのはアメリカ大陸だけであったので、まさにこれをきっかけに唐辛子は世界中に伝播していくことになる。

なお、コロンブスはもともと「アメリカ大陸を発見した」などとは思っていなかった。彼はもともと「インドに到達したい」という野望をもっていたところ、間違えてアメリカ大陸を発見してしまったのだ。

ということで、コロンブスは意地をはった。アメリカに「西インド諸島」という地名があるのは、コロンブスが「ここはインドだ」と言い張ったからである。

そして「唐辛子」もそうだった。考えてみると、

胡椒=ペッパー
唐辛子=レッド・ペッパー

と書くと「おや?」と思うのではないだろうか? これでは「唐辛子」は「赤い胡椒」ということになってしまう。

しかし、そうなのだ。コロンブスが「ここはインドなのだから、これは胡椒に違いない(赤いけど)」ということで、そう命名してしまったのである。

そしてそれが、ヨーロッパ語圏で「胡椒」と「唐辛子」の名前の混同を招く原因になった。

インドではそれまで、辛味を出すスパイスといえば胡椒がメインであったが、唐辛子が流入するようになると、アーユルヴェーダ医が好んで唐辛子を用いるようになり、1年程度で完全に唐辛子が生活に定着したというから、よほど好まれたようだ。


参考資料:「カレーライスと日本人」(森枝卓士著)、「カレーライスの誕生」(小菅桂子著)、「インドカレー伝」(リジー・コリンガム著/東郷えりか訳)、Wikipedia

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