シュリニヴァーサ・ラマヌジャン(1887~1920)は、「インドの魔術師」とも呼ばれる。
この人のことは私は長年知らなかった。知ったのはつい最近である。
この人は厳密に言えば「数学者」ではないのかもしれない。なにもかも常軌を逸している。
ラマヌジャンは南インドの厳格なヒンズー教徒の家庭に生まれた。
子供のころから優秀な成績であったようだが、15歳のときに、ジョージ・カーという数学教師が著した「純粋数学要覧」という本に出会う。
これは大学受験用の公式集であり、証明などがなく、ただ式が羅列して書かれているだけのものなのだが、ラマヌジャンはこれに夢中になってしまい、その結果として「ジョージ・カー」及び「純粋数学要覧」の名前までもが歴史に名を残すことになってしまった。
「数学狂い」と化したラマヌジャンだが、ここで資料によっては「次々と公式を証明し」となっているものもあるが、自分が調べたところによると、これはおかしい。
ラマヌジャンは「証明」の仕方というものをまるっきり知らなかったようなのだ。
つまり、どういうやり方でか知らないが、「公式」を理解し、また「編み出した」らしい。
上記の「純粋数学要覧」には6000あまりの公式が載っていたようだが、それに没頭するあまり、大学には合格したものの、「数学」しかやらず、また授業を聞かないため、あっという間に退学になってしまう。
そのため、彼は普通の大学生が普通に行うような数学の証明がまるっきりわからなかった。どういうわけかわからないが、「習う」という気すらなかったようだ。完全に独学で突き進んでしまった。
その後大学をクビになったラマヌジャンは、港湾事務所に職を得るが、理解のある上司のおかげで、仕事が終わったあと自由に研究(?)をしてよいということになった。
(研究と呼べるのかすら不明だが)
そして、「証明」がない、「結果」だけの公式をバンバンと生み出していった。
周囲が「もったいないから誰かに送ってみては?」というので、送ったところ、大半は無視されたが、イギリスのハーディ教授という人がそれに目を留めた。
最初は「とるにたらぬもの」だと思ったハーディであったが、ラマヌジャンの書いた式の中に、ハーディ教授が発見し、まだ発表していない式があることを見つけ、驚いたのだそうだ。
そして彼はラマヌジャンをイギリスに呼び寄せた。
ラマヌジャンは「厳格なヒンズー教徒」のはずなのだが、どういうわけか「50時間起きて30時間寝る」という不規則な生活を送っており、その間に半ダース(6個)もの公式を生み出し、翌日それをハーディに預けると、ハーディはそれを1日かけて証明する、という奇妙な「研究生活(?)」が3年続いた。
何しろラマヌジャンが残した「ラマヌジャン・ノート」には「結果」しか書かれていないため、「どういう過程でその式が出てきたのか」というのがまるっきりわからない。本人に聞いても、
「寝ている間に夢の中で、ナーマギリ女神(ヒンズー教の女神)が舌の上に書いて教えてくれるんだ」と言っていたという。
(なお、「ナーマギリ」というとわかりにくいが「サラスワティー=弁財天」のことである)
このようにして生活は続いたが、第一次世界大戦下のイギリスにおいては「菜食主義」を続けることは難しく、ほどなく体調を崩し、インドに戻ってしまう。その後間もなく亡くなる。32歳の短い生涯であった。
さて、ラマヌジャンが生前残した式は全部で3254個あったという。
何しろ完全な独学(?)で作った公式なので、すでに見つかっているものや間違っているものも結構あったようだが、全体の2/3は未知の公式だったという。
ラマヌジャンの死後、「ラマヌジャン・ノート」の全ての公式を証明する、という事業が開始された。
特に、「ラマヌジャン予想」なるものがあり、それは後に「ラマヌジャン・ピーターソン予想」と名を変えるが、後にそれは「ヴェイユ予想」に帰着し、「ヴェイユ予想」が1974年にドリーニュが解決したことで終結を見た。
が、「ラマヌジャン・ノート」全体の証明にはその後更に歳月がかかり、完全に全ての証明が終わったのは実に2018年のことであった。
数学の世界では「たった一人の存在が100年ほどの歩みを一人で成し遂げる」といったことが時折あるが、近世このような状況は大変珍しい。
また、「夢の中で公式を教えられた」というのは、ありえる話だと私は思っている。というのは、自分も夢の中で問題を解いたことがあるからだ。
私の例でいえば、ある問題がどうしても解けないので寝たのだが、その日の夢で、うっすらと光るホワイトボードが見え、近寄るとそこに数式が書いてあった・・ということがあった。
しかし、それはたった一回の話で、毎日毎日こんな事が起こるわけではない。だから、「ありえるだろう」とは思うものの、首をかしげるところもある。
また、エジソンは、「寝入りばなに着想を得る」ということを活用した人である。彼は休憩するときにソファーに横になるのだが、右手に鉄球を持ち、その下に金ダライをおいたそうだ。
次第にリラックスしてリラックスして・・すると手から力が抜ける・・うとうとしだすと、完全に手から力が抜け、鉄球が落ちてたらいにぶつかり「ガン!」という音が鳴り、「びくっ」と目覚めるのだが、このときにアイディアが出ることが多いのだそうだ。
また、中間子理論を作った湯川秀樹博士も、枕元に常にノートを置き、目覚めたときにメモをとれるようにしていたという。
だから、ラマヌジャンのようなことはありえなくはない、のだろうが、このような頻度で「ひらめく」のはやはり異常だ。
さらにいえば、「論理的な帰結」ではなく、「一足飛びに結論が出てくる能力」とでもいうようなものではなかっただろうか、と私は思っている。
周囲の人から見れば「なんでそうなった!?」というようなものでも、一瞬のうちにそこまで到達する天才というのもいることから、そういうタイプなのかもしれないし、あるいは「理屈も推論も抜きで結論だけ引き出す能力」なのかもしれない。
いずれにせよ稀有な人ではあったと思う。数学史上でも稀にみる人物だ。
「証明」を一切していないことからして「数学者といっていいのかすら疑わしい」と書いたのはそのためだ。
むしろ「預言者」とでもいったほうが近いのかもしれない。
参考資料:Wikipedia
なお、ラマヌジャンについては他にもよくまとまった記事があるので、そちらも参照されたい。↓
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