「ピタゴラスの定理」で有名なピタゴラスだが、紀元前582年 – 紀元前496年の人物で、数学者、哲学者であったとされる。
・・・のだが、現在でいうところの「新興宗教の教祖」であった。「ピタゴラス教団」というものを組織し、その開祖であった。教理は「万物は数なり」とし、数の神聖性を重んじた。
ピタゴラス教団の信者が発見したものは開祖の栄誉に帰す、という原則のため、「ピタゴラスが発見した」とされる定理のものは全てピタゴラス本人の発見もあったのかもしれないが、信者も含めての発見であったようだ。
有名な「ピタゴラスの定理」もピタゴラス本人が発見したものかどうかは不明である。
ピタゴラスは数を神聖視するあまり、「全ての数は有理数である(分数の形に書ける)」としたのだが、弟子が「√2は無理数である」ということを発見してしまう。ピタゴラスはその弟子を処刑したそうである(なお、いろいろ調べてみたが、この話の根拠ははっきりせず、ガセの可能性もある)。
また、ピタゴラス教団は「内々の話を外部に漏らすべからず」という厳しい規律を設けており、これに違反したものはやはり処刑された。
そのため、ピタゴラス本人に関することは後世にあまり伝わっておらず、間接的にしかわからない。冒頭の彫像も、「イメージ」なのではないかと思われる。
ピタゴラス教団は繁栄したのだが、入団に際しては数学の試験があり、これが相当に難しかったようだ。その後ピタゴラス教団の後援者が政争に巻き込まれて失脚する。このとき、かつて入団テストを受けて失格となった者が当時の遺恨から市民を扇動して暴動を起こし、暴徒と化した市民によって教団は焼き打ちされて壊滅し、ピタゴラスも殺されたとのことである。
ピタゴラスについては一つ謎が残っている。
それは「豆」を極度に恐れたというものである。
教団の規律にも、「・空豆(ソラマメ)を食べてはいけない」という一文がある。
なぜそれほど「豆」を恐れたのか? はそのまま謎となって残り、後世の人達がそれを題材に本を書いている。
↓こんな感じ
ピタゴラスの死の状況についても4つの説がある。
- クロトンで暴徒に家に放火され、逃げ出したが豆畑のふちに追いつめられ、咽喉を切られて殺された。
- メタポンティオンのムゥサの女神たちの神殿に逃げ込み、40日間の断食をした後で死んだ(ディカイアルコスの説)。
- メタポンティオンに退き、断食をして死んだ(ヘラクレイトスの説)。
- アクラガス人とシュラクサイ人との戦闘で、アクラガス側に参加して戦った。しかしアクラガス軍が敗走し、ピタゴラスは豆畑を避けて廻り道をしたためシュラクサイ軍に追いつかれて殺された(ヘルミッポスの説)
(Wikipedia「ピタゴラス」より引用)
このうち、1と4に「豆」が出てくる。
ピタゴラスの教団のシンボルは、10個の点を三角形の形に配置した「テトラクテュス」というものと書かれているものもあるが、別の資料には「五芒星(ペンタグラム)」と書いてある。私も長年「五芒星」だと思っていたのだが・・。
さて、どちらが正しいのだろう?
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