が出たので早速読んだ。
「そういえばこの本はラブコメではないなあ」などと思った。
冒頭は前巻の語り残しからスタート。「イエロームーン邸での歴史的会談」を終えたところからである。
↑この「会談」によって、イエロームーンと帝国との関係性があらたに発見され、ミーアとイエロームーンのあらたな友誼が構築されたのだが、
その帰りに「皇女ミーアの生誕祭」なるものの時期が近づいていた。
ミーアはいよいよ近づく飢饉に際し、この「生誕祭」で大量の食料廃棄が起きることを危惧する。というのは、貴族たちは大体「食べきれないくらいの量」を出して「あまりが出る」のを美徳としていたからだ。
中華料理のマナーにおいても、ゲストを呼んだときは大量に料理を出し、相手が残すほどでなければ歓待したことにならない、というものがあるらしい。それと似た事柄なのだろう。
ただ、ミーアは頭ごなしに貴族に「そんな無駄はやめれ!」といってもおそらく聞かないだろう、ということで一計を案じた。
そしてそれがまた、いい方向に転がっていったのだった(詳細は本編を!)。
今章ラストにおいては、今までミーアに対してある程度敵対的であった「四大公爵家」のメンバーが勢揃いして、ミーアを交えてお茶会を行う、という、これまた歴史的な一幕がある。もっとも、前巻までにミーアは奮闘し、4大公爵家のそれぞれとの友好関係を築いていたため、これは必然的な結果だが、なかなかに感慨深いものがある。
そして新章へ。
まずは、
いよいよきたる「飢饉」に備えなければいけない。ルードヴィッヒが「備蓄は十分にある」といっていたので、「なんとかなる!」と思っていたミーアであったが、「寒さに強い小麦を」と研究を頼んだアーシャ(ペルージャン農業国の姫)とセロ・ルドルフォン(ラーシャの生徒であり、ティオーナの弟)の研究が行き詰まっていた。
Wikipediaに人物相関図があったので載せてみる(自分で書いててグラグラしてきた・・・)。
ティアムーン帝国物語 〜断頭台から始まる、姫の転生逆転ストーリー〜
このとき、ミーアは「これは困った!」と思う。というのは、小麦の品種改良にはおそろしく時間がかかり、一回失敗したら来年まで待たなければならない、ということを考えていなかったのだ。そこで「ギルデン辺土伯領」の農地も借りられないかなあ、くらいの考えを持つ。
ところがこれが功を奏す。
というのは、「ギルデン辺土伯領」は農業国「ペルージャン」より北方にあるからである。もちろんミーアは「北方には寒さに強い品種が育つ」と知っていたわけではない、のだが、結果的にそれが彼らの研究を後押ししそうな気配である(今巻ではまだそこまでいっていない)。
そして、ミーアが生徒会長に就任してしまったため(?)入学式の挨拶を頼まれてしまった。
そこでミーアは単に「自分の憂いを断つため」の演説をしたのだが、これが後世に残る伝説となってしまった(詳しくは本編を!)。
ミーア的には深いことは考えてなさそうだが、何をやっても伝説になってしまうのだった。
また、後半においては、飢饉のときの生命線である「フォークロード商会」(飢饉前から契約しておき、いざ飢饉になっても小麦の輸送をしてくれる手はずになっている)に、敵対的値下げをしてきた者が出てくる。
さて、ミーアはその者にどう対処するだろうか。しかもその「者」とは、前の時間軸で会っており、さんざん嫌な目に会わされているのだ。
後半の見どころは↑この立ち回りだろう。
それと、ずっと私が書き続けていた、
なぜミーアはこんなにキノコが好きなのか
であるが、今巻を読んでいて思い出した、というか・・多分1巻あたりに書いてあると思うのだが、
前の時間軸で革命軍から逃亡するために、山野を駆けずり回った経験で、食べられる山菜、食べられるキノコに詳しくなったということ、また2巻あたり(?)で「ルドルフォン辺土伯」とのいさかいがあったときに、猟師から「鍋料理」をごちそうになり、それにキノコが入っていたのではなかったか。
(なぜ思い出したかといえば、「ミーアは森で果物がとれるなどと期待はしていない」という一文を見たときだった。森にうっかり美味しい果物が生えているなどと期待していない・・・それを読んだとき、前の時間軸におけるサバイバルを思い出したのだった)
今巻では、ミーアの鬱憤をはらすかのように「おいしそうな」キノコ料理が結構出てくる。地球上に存在しないような料理もあるが、多分これはどこかに実在しているのではないか。前巻で出てきた「(美味として有名な)ヴェールガ茸」の料理も出てきた! これは現実的にはトリュフの料理的な何かだろうか?(「真っ白な」とあるので「白トリュフ」かもしれない)
(作者が作中に出すものは、名前が多少異なっても実在のものが多いということに最近気づいた)
毎回思うのだが、この作品を読むと、
人間の善性
に対する信頼、というものを感じる。誰であっても「ちょっといい話」を読むと気分がよくなったりするのではないだろうか。それに近い感じのものだ。なんとなく心が浄化される感覚だといえばいいのか・・。作者はコメディータッチにして、話が重くならないようにしているが、基本的には「人間の善性」を描く話なのではないか、と思えるのである。そのために、読後の感想も少々真面目なものになってしまい、ラブコメの感想とは畢竟、雰囲気が異なってしまう。
ところで、
累計45万部突破!
だそうである。
また、
二度目の舞台化決定!
とのことである。歴史ものであるから、舞台化はしやすいのかもしれない。
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