ついに
完結!
北海道へ帰る決心をした沙優、そしてそれに「付き添いたい」と申し出た吉田。
簡単に言えば5巻の内容は、
- 沙優がついに家に帰る。
- 吉田と沙優のその後はどうなるのか。
で終わってしまう。
彼女の長い旅がようやく終わりを告げるのだから、もう少しなにか書きようがある気がするが、まとめるとこんな感じである。
書き連ねていくうちにそれっぽい文章になるかもしれない、と思い書いてみることにする。
「親友が目の前で死ぬ」という10代の少女が経験するにはあまりにも大きな出来事を経て東京まで逃げてきた沙優。
北海道の実家に戻るときに、「ちょっと寄りたいところがある」といって夜の高校に忍び込む。
そこでの出来事は、描写を見る限りでは、
普通に「PTSD」であった。
PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)は、死の危険に直面した後、その体験の記憶が自分の意志とは関係なくフラッシュバックのように思い出されたり、悪夢に見たりすることが続き、不安や緊張が高まったり、辛さのあまり現実感がなくなったりする状態です。PTSDは決して珍しいものではなく、精神医療においては「ありふれた」病気のひとつであると言えます。(厚労省のHPより引用)
「決して珍しいものではなく、精神医療においては「ありふれた」」と書かれているが、「PTSD」という用語自体、最近のものだという気がする。
調べてみたら1930年代にアメリカの精神科医、ハリー・スタック・サリヴァンによって定式化されたものらしいが、一般に認知されるようになったのはベトナム戦争(1965年~75年)以降のようだ。
現在の精神医療においては「PTSD」と診断されたなら、しかるべき処置を取られるはずであるが、まだ十分に庇護下であるはずの沙優はそうした状況下のもとで「逃避」を選択したことになる。
5巻で語られるが、それは家庭環境にも原因があった。もっとも、それで一概に沙優の親が悪い、とはいえない。
沙優の親も現実がままならず、おそらくは相当苦しんだであろうから。
・・といったことを書くと「重そうな話だな」と思われるかもしれないが、何しろ「沙優の過去」に向き合って精算する話なのだから、軽くはないのだ。
沙優の親もなんとかしたかっただろうし、結果、自分の子が行方知れずになってしまい、自分の無力さに打ちひしがれていたかもしれない。そう考えると親も一方的に責められるいわれはないと思う。沙優が帰宅してすぐ沙優を平手打ちしたのは印象がすごく悪いが・・。
日常・・・と呼べるのかどうかは疑問だが、日常に回帰した二人を待っていたのは、もちろん元に戻るということ。吉田も沙優がいない生活に向き合わなければいけない。
さて、そして「吉田と沙優のその後」であるが、・・・それはもちろん本著をお読みください。
5巻という分量は決して「すごく長い」とは言えないと思うのだが、その間、イラストレーターのぶーたさんのご病気などもあり、一時的に『打ち切り説」が出たりもして巻と巻の間があったときもあったので、
無事に完結してほっとした、というのもあるし、「長い長い話が終わった」というよい「読後感」もあった。
考えてみたら、沙優が最初のころ「にへら」という笑顔を浮かべていたのはなぜだろう、というのがようやく合点がいった。
吉田と出会うことで「感情を次第に表現していく」ことになった沙優は、今巻で最大の感情的発露をする!
これを見ないと「沙優とはこういう人間だ」とは言えない気がする。
しめさば先生、ぶーた先生、そして4巻でイラストのピンチヒッターを務めた足立いまる先生、お疲れ様でした。
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