「美味しんぼ」の作中において重要な立ち位置の「海原雄山」。彼のモデルは「北大路魯山人」である、というのは有名な話だが、
実は結構細かいところまでモデルと同じである。
北大路魯山人は書家であり陶芸家であり美食家。ここまでは皆が知るところなのだが。
Wikipediaによると、
娘を溺愛したものの長じて魯山人の骨董を持ち出したことから勘当し、最晩年にいたっても魯山人の病床に呼ぶことすら許さなかった。
ということだが、これは山岡士郎のエピソードとも似ている。
また、
美食家として名を馳せた魯山人は、フランス料理の外見偏重傾向に対しても厳しく、渡仏の際に訪れた鴨料理店「トゥール・ダルジャン」で、「ソースが合わない」と味そのものを評価し、自ら持参したわさび醤油で食べたこともあった。
ともあるが、この話は「美味しんぼ」第3巻4話「料理のルール」で同じエピソードが出てくる。
やはり海原雄山も「トゥール・ダルジャン」にてわさび醤油で食べてみせるのである。
また、こういうエピソードもある。
気難しい人物で、晩年魯山人の家で働いていた手伝い曰く「風呂から上がると、決まった時間にキンキンに冷えたビールがさっと出てこないと満足できない方だった。それが出来ずに叱られ、辞めていったお手伝いさんを何人も見た」とのこと。
これは、「海原雄山が食事の出来に満足しないと妻に何度も作り直させた」というエピソードに変形して出てくることになる。
北大路魯山人のWikipedia記事はここなんだよ(・∀・)
・・ということで、大分北大路魯山人本人の逸話が入っている、ということには気づいていたが、もう一つあった。
それは「快楽亭ブラック」という人物。
作中においては、もともとアメリカから豆腐の研究のため来日し、その後落語に興味を持ち、自身も落語家になってしまうわけだが、
なんとこの「快楽亭ブラック」という人物、実在したのである。
1858年(安政五年)~1923年(大正十二年)の人物で、本名は「ヘンリー・ジェイムズ・ブラック」である。なお、「美味しんぼ」のほうの快楽亭ブラックの本名は、「ヘンリー・ジェームス・ブラック」とある(ほぼ同じである)。
では実在の快楽亭ブラックさんがどういう方だったかといえば、イギリス出身で日本に帰化した落語家である。奇術師、講釈師でもあった。
快楽亭ブラック(初代)のWikipedia記事はここなんだよ(・∀・)
明治24年に「快楽亭ブラック」を名乗る。「青い眼の噺家」として人気をはせたとのことである。
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